夏休みが終わると不登校の子が増えたり、最悪なケース自殺する子もいるという話を聞いてびっくりしています。
確かに、私は会社と仕事は大好きだけど、長い休みの後は行きたくなくなる。
そういうことじゃない?。
なぜ、こんな事が起きているんだろう。
スクールカーストが原因なのか?はたまた家庭環境か。一人一人原因やきっかけは違うかもしれないけど、あまりにも悲しすぎる。
『スクールカースト』
現代の日本の学校空間において、生徒の間に自然発生する人気の度合いを表す序列を、カースト制度のような身分制度になぞらえた表現。
人気かどうかは解らないけど、昔からグループがあり、目立った子が多いグループ、おとなしい子グループなどがあったのは確か。
厄介なのは、一度グループ分けをされると他のグループには行けないこと。
厄介ですよね、せっかく沢山友だちがいるのに。
学校、家庭共に楽しいと言うのが理想ですが、どちらかにでも自分を認めてくれる誰かがいると、理不尽ながらも学びながら育っていくと思います。
だけど、学校が楽しく過ごすには家庭が基本。
社会問題になる程、また不登校や自殺に至るまで、どういう心の葛藤があるのだろう。
吐き出せる場所もないというのでしょうか?。
子供って、素直な分残酷にもなり、いともたやすくトラウマにもなる。
学生の間はたとえ友達一人に無視されても、非常に辛く悲しい。それが自分の全てだから他の事は手につかなくなる。
学生時代の1年間はとにかく長い。
嫌な学年なんて特に長い
小学校や中学生の頃の同級生なんて卒業してしまうと、よほど仲の良い友達以外、一生会わない人がほとんどなのに、良い意味でも悪い意味でも自分の思考や行動までも支配されてしまう。
私が思う学校の良いところは同じ年の子らが集まり、気楽に話したり共感したり、横の繋がりで学べるところ、仲間意識と思いやりを持って、個性の違いを感じ、認めあえる所。
じゃないのかなぁと思います。
先生は勉強は勿論ですが、友達との関わり、将来社会で活躍する人間を育てるという事を忘れず教育してほしい。
ですが、私が感じる大半先生の印象は、学生を卒業してから、社会経験もないまま『先生』と呼ばれ、特殊な立ち位置にいらっしゃる気がします。
これから先生を目指す方は、色んな経験をして色んな角度から人の良さを発見し、伸ばす事が出来る人が先生になってほしい。
私の理想は、スクールカーストを無くすべく、教科によってグループ分けをしてはどうかと思う。
今や色んな診断テストがあるので、それに基づいて教科ごと等にグループ分けをし、特定の仲良しだけの行動をとらず、会社のプロジェクトチームの様なイメージで、なるべく多くの児童(生徒)同士を関わらせる。学年での縦割りクラスもあっていいと思う。
そしてクラス担任だけではなく、子供の気持ちをフォローできるフリーの先生に様々なチームを巡回してもらう。
人間誰しも、良い面⇔悪い面、得意⇔苦手が必ずあります。何かのきっかけで逆転したりすることもあります。
自分でない誰かの良さを引き出すのは自分かも知れません。逆もあります。
学生時代は特に自分の得意を発見することに費やしてほしい。
人の嫌な所って意識しなくても見えてくるのに良い所って、それが羨ましさから、妬みになるのが残念。
人の良い所や、人のハッピーな出来事を一緒によろこべると自分にもハッピーなことが訪れやすいと思うのに。
なぜ先生はそういうことは教えないんだろう。ちょっと宗教っぽいからかな。
それと、体育の時間にヨガを取り入れて、心を落ち着かせ、自分自身を見つめる時間があっても良いと思う。
時代が代わって、ゆとりになり、更にゆとりが見直されるようになっても、人の気持ちを大切に思う事は人間が存在する 限り変わらない。人との関わりあいで、五感を鍛え、感受性の裕な人に育ってほしい。
もし、私で役に立つなら話を聞いてあげたい。