くくりの部屋
子育てについて

高学歴ニートや引きこもりのお子へ伝えたいこと

高学歴ニートって最近話題になることが多いけど、高学歴ニートに限らず、ニートや引きこもり、働ける身体があるのに働かないなんてホントに勿体ないと思う。

そして、まだまだ色んな可能性がある。人生あっという間に歳をとってしまいます。

『いつかはやる』そのいつかは『今』です。

昭和な私は、親世代からも『働かざる者食うべからず』と言う言葉を聞かされたし、母親になってからも、子供が大きくなりパートをやめて就活中だった時も、就職できない自分に焦りを感じたりしていました。

働くことが当たり前だと思ってるし、自分の子供が社会に出た時には、清々しい気持ちになり、自分は(自分が)社会への役目を果たしたとまで思いました。

日本人のDNAでしょうか?。

私は、働く=勤め人(雇われる)になる。と言う選択肢しかなかったけれど、

今は企業に勤める事が全てではなく、色んな働き方がある。と思う。

と言うと?

と言われると、私自身は模索中である。今、こうしてブログを書いているのも模索しているからなのです。

もう50歳近い人間なのにです。

得意がお金になる時代。学歴を特技だとするならば、是非とも学んだ知識を存分に発揮し、培った学力やアイデアでこれからの働き方の方向性を示して欲しい。

そのための学歴なのでは無いかと思う。

私は今更ながらもっと勉強していたら良かったと思う。

学生時代は大人になってからもっと勉強しておいたら良かったって大人世代の人から聞いてもいたけど、勉強=学校の勉強 って思っていて私自身必要性を感じず、自由にしたかった。

勉強よりはお金を稼ぎたかった。

だけど、お金を稼ぐにも、色んな知識があった方が、働く選択肢を広げる事になるんです。

学校の勉強が全てではなく、生きること全てが勉強で、自分の興味があることを突き進めばそれが勉強、それを掘り下げると、誰かに教えてもらわなければならず、そうなると何らかの学校で勉強することになるのかと思います。

そして、学んだ事の実践、人生と言うリアルなゲームみたい。

多少の困難や不具合は自分なりに解決策を試行錯誤してみること。

だけど、2年全く同じなら環境を変えてみる。

もし、学校や勤務先が合わないなら、ステージを変えれば良い。

私は働くことが当たり前だと思っていると言いましたが、働くことは大好きです。

パートで、色々な先輩から教えて頂いたり、怒られたり、落ち込んだりしながら成長したこと、仕事で学んだ事、それが他の会社でも通用するのかと、長年勤めたパートの会社を飛び出しました。

一昔前、『派遣切り、ネットカフェ難民、派遣村』なんて言葉が流行っていた時代、私はどっぷり派遣社員でした。

そんな時代、高卒でなんの資格も無い私が、正社員として働けるようになったのは、ただただ、周りの人達のおかげと、運が良かったからだと思っています。

私は高校卒業後、学校からの紹介で1年会社員として働いた後、結婚・出産を経験しました。

子供が小さいうちは働きたくなかったのですが (まあ、そう言ってる状況ではなかったですが)、

働いておらず、出産後4ヶ月くらい経った頃、郵便局へ行く用事があり、朝の9時頃だったでしょうか、久しぶりに自転車で駅近くまで出掛けました。

その時の光景、

ほんとに何気ない朝の通勤風景なのですが、

時間を気にしながら、せわしなく行き交う人々、車のクラクション排気ガス、あまりにも時間の流れ方が違う世の中に、

自分はそこには属さない、世間から取り残された感覚、20才の私は『自分が居なくても、世の中って動いてるんだ』 と、なんだかとっても、強烈に寂しさを感じたことを覚えています。

まだ会話すら出来ない赤ちゃんの娘と営業マンで深夜に帰宅する旦那。全く会話をしない日常がそこにありました。

今のように、インターネットや携帯すら無い時代のことです。

今は、インターネットの発達、SNS等でいつも誰かと繋がっていて、世の中の情報も瞬時にわかり、表面上は孤独にはならないかもしれないので、きっと私の発信も理解してもらえないかも知れません。

こう言う書き方をすると、子育てが辛いものだと感じさせてしまいますが、私は子育てから、自分の視野や感性がとてつもなく広がる貴重な経験をしたので、その経験がなかったら、今の自分ではないとさえ思っています。

だけど、今現在もし、一人で悩みながら子育てしてる人がいれば、私は寄り添ってあげたいと思うけど、どうして良いかわからない、これについては需要があるかわからないけど、Twitterか別カテゴリーで子育て寺子屋でもはじめてみようかと思う。

話をもどして、

やはり、成人したからには、自分の食い扶持は自分で稼ぐ、最低限国民の三大義務を果たしてこそ大人かなぁ と思う。

親のスネがかじれるので、わざわざ働かなくても良い人

なんと羨ましい。と思う。私もかじらせるスネがあるなら、めちゃくちゃかじらせたい。

かじれるスネがあるならかじって生きれば良いと思う。

ただ、スネをかじらせるのは親の特権、力、自己満足、生き方、生きる証なんだと思う。

先程かじって生きればいいと言いましたが、子供の方は、ただそれだけのこと、何もない。言い方は悪いですが、いつまでたっても親の配下におかれてる人

家でも外でも、偉そうにしていても全く偉くない。

私は自分自身もそうだけど、親として、子供には何か 生きた証を残して欲しいと思う。

失敗を畏れず、生きた証を残して欲しい。

親の脛をかじれる人は、脛という後ろ楯があるのだから、おもいきって色んな事に挑戦して欲しい。

今は全く信じられないかも知れないけど、人間年を取れば、体が言うことを聞かなくなり、やりたいと思うことが出来なくなります、記憶力もなくなります。

10年20年なんてあっという間です。

今の環境では無理と言う場合、まず環境から変えてみるところから初めてみてはいかがでしょう。

私は妊娠出産で全く環境が変わりました。

そして、パート→派遣→正社員という些細なステップアップでも、自分の中の中では少なからず自信に繋がっていて、子供達にお金の支援はしてあげられないけれど、生きざまは見せられているかなぁと思っています。

私は来年50歳になります。振り返ればあっという間、この先 何年生きられるかわからないけど、次へのステップを模索しています。

何か興味があるなら、それについてのセミナーや専門学校、大学に通ってみてもいい、インターネットだけではなく、人と接してみたり、あらゆる角度からの情報を受け、自分を成長させて欲しい。

一緒に頑張りましょう。